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ここ去りて漂いゆかん道もなし膝つきてひくき水飲みにけり
『桜花伝承』昭和五十二年刊
 この歌は歌集の最終章、「椿の妄語」十首の中にある。昭和五十一年三月号の「文藝春秋」に載せた七首(題失念)と、「短歌」二月号の二首とを併せた一連である。「短歌」の一首に「母二人父一人老いて髪洗う黄泉(よもつ)ひらさか椿のま昼」という歌があるが、この頃の私はそうした家の事情を抱えて苦しい思いをしていた。
 現在住んでいる家を建築中で、五月には入居する予定もすすんでいたが、引越がすめば私の老父母と、姑を迎えて同居することになっている。そのため六畳ほどの部屋を沢山つくって、それぞれ入ってもらおうと工面して九室を確保した。しかし、なかなか難しい予測ばかりに悩まされたが、こういう時の私は意外に度胸が据わっていて「そうなればなったで何とかなる」と覚悟した。入居に先立って一本の椿を植えた。この椿がいろいろのことを教えてくれると思って植えた。なぜだかわからないが、そう決めたのである。以後この椿の歌がよく登場する。
 「ここ去りて漂いゆかん道もなし」とはこうした時の覚悟のようなものだ。引き受けなければならないものを引き受けて、しばらく自分のくらしの中心だったものを封鎖するしかないという思いだった。「小楯なす椿つやつや咲くものをわれにしばしの妄語ゆるせよ」こんな歌を椿に詠みかけながら、同年五月ついに引越を完了させた。
 ただ、引越の助人が豪勢だった。河野裕子さんが握ってくれたおにぎりを山ほど箱に入れて永田和宏さんが来てくれたし、三枝昂之、小高賢、田村広志、それに大和書房の佐野和恵の諸氏、あまり仲のよい船頭が揃ったので、かえってはかゆかず、それでも何とか夕刻までには荷も納まり、夕餐はどうしたのか記憶がとだえている。ともかく、有難い引越だった。
 夜は深い闇しかなく、わが家がちょうど丘の頂点に当っていたのにはじめて気づく。その上、まさに一軒家で、あたりには無人の家が一軒あるだけだった。