告知板
ホーム
概要&入会案内
今月の内容
さくやこのはな
かりん作品抄
時評
ライブラリー
リンク
会員ひろば
かりんネット歌会
お問い合わせ
あら玉の年のはじめの声出(こわだ)しの息松の香を深く吸いたり
『阿古父』一九九三年十月刊
 平成元年は事の多い年だった。天皇崩御に伴い間髪を入れず発表された新元号にふしぎな感銘を受け、なかなか馴染めなかった。これを契機に西暦に切りかえようと思いながらずるずると平成に従った六月に天安門事件が起こり、十一月にベルリンの壁が破壊された。個人的には十月に父を失った。父の死後も和歌山、熊本、静岡など地方へ出ることも多く、対談、鼎談、短歌作品も「高千穂」百首のあと、「いのち抄」「阿古父」などをかき、新聞に八回の小連載をはたしている。
 つまり、冒頭にあげた歌は、このような目まぐるしいような時間をこなした年が明けた新年の歌である。かなりゆとりがあるさびしい新年だった。父がいなくなった年明けだが、私は例年のように私的な謡初めをしようと思った。昨年秋以来、あまり声を出していなかったので、ひとりの部屋で緊張しながら扇を取った。深く息を吸うと、喪中ながら生けて置いた松と水仙の香が体内に深く沁みこんできた。精神が一気に引き緊るのを覚えた。
 何を謡ったのか全く覚えていない。曲などは問題にもならない。玄人は拠点とする本舞台に集合して「翁」を謡うのが定めらしい。私の流儀には女性の玄人は承認されていないので、私は永遠の素人の放逸を楽しむ権利がある。この精神のゆとりと自由さはなかなかのもので、何の権威も恐れる必要はないというよさがある。
 毎年、松を生け、その前で、時の気分によってさまざまな謡を謡ってきた。自分の人生に添って能があったことを改めて感じるひとときであった。今はもうこの習慣もなくなった。声だけは年を取っても変わらないというが、謡はそうもいかない。今はもう息が上がるというか、声が続かなくなってしまい、謡初めもできなくなった。しかし、能の文言の花はみずみずと記憶の底からよみがえってくる。声に出さなければ、じつにうまく謡えるのが何よりの慰みである。

※ (   )は、直前の語句のルビ