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白梅の時間(とき)はしづかにゆつくりと昔は今を引き寄せてをり
『阿古父』一九九三年十月刊
 この歌は「平成」という元号が決まった年の「かりん」四月号に載せた。「昔は今を引き寄せ」るなどと変な言い方をしていて、面白いと言ってくれたのは米川千嘉子さんだけだったような気がする。何ということはない。これは「今は昔を」とすればわかりすぎるくらいわかりやすい歌になる。では、わざとわかりにくく言いまわしたのか、というとそうでもないのだ。
 その頃のわが住むあたりは、まだ柿生の里というにふさわしい田園風景の中にあった。春になると住んでいる山全体が梅の香に包まれ、温気が上がると沈丁花やマーガレット、木蓮、こぶしなどの花の香がまじり合って、なんともいえない酩酊感が生まれる。向い山の雑木がほの白く芽吹き、霞がかって頭の中まで朦朧としてくるのだ。
 この春に会うたび、私は『古今集』の春の中にいるような思いをしていた。どの歌がそれというのではなく、おっとり優雅なふくらみが季節そのものにある体験にひたっていたといったらいい。いま思い出しても、生涯を通してめったにない幸福な時期だった。つまり実感として「昔」という、もう侵し得ない馥郁としたものに出会っていたのである。そこには「いま」などという薄っぺらなものではない深淵な自然の力が「人」を圧倒していたのだ。人は自然に従って生きてきたその時間のやさしさがよみがえるように思われたのである。
 梅が咲くといまもその頃の美しかった自然の大きな力を思う。その庭の梅も、すでに半世紀以上を生きてきたが、周辺にはもう昔の面影は全くない。しかし、周辺が平凡な住宅街に変貌してゆくのをみながら、「昔」の時間のゆたかさについて思うことは多くなった。梅が散り、桜が散り、この春私は武下奈々子さんと栃の木峠を越えた。
 越前の栃の木峠栃の花ほけほけほうと人忘れしむ
 身盛りの栃の木のこと誰にかも咲きかがよひて光るとつげむ

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