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八重岳の奥処に傷兵を看取りしは沖縄第三高女従軍隊なりき
『記憶の森の時間』二〇一五年三月刊
 先月号のつづきになるが、やんばるの八重岳は標高五百メートルほどの山で、野戦病院はその中腹にほんの間に合せに作られた傷兵の収容施設だった。『馬場あき子新百歌』では名嘉真恵美子、伊波瞳、佐野豊子の三人がそれぞれにこの八重岳戦についてかいている。一九四五年四月十四日からはじまった戦闘はたった三日で敗れ、野戦病院は米軍の火炎放射器で傷兵もろとも焼き払われたという。
 野戦病院には三百の傷兵がいたが、撤退に当っては自決用の手榴弾と乾パン一袋が従軍の女学生から手渡された。少女たちは十六歳でこの役をはたしたのである。撤退する兵の背後から弱々しい「海ゆかば」の歌声が伝わってきた。
 沖縄には随所にもっと凄惨な戦闘の記録が残されている。ただ私は美しい蝶を捕る目的のさなかに、その目的を放棄させるほどの驚愕を、朽ちかけた小さな木の道標との出会いによって得、沖縄の一角に少しは身に知る戦中の手ざわりとともに辿りついたのであった。
 午後三時野戦病院跡静まりて相寄りて苔を吸ふ瑠璃タテハ
 傷だらけの模様を翅にもつてゐるイシガケ蝶なり低く飛びくる
 やんばるにのみ棲むといふフタヲ蝶面影は空に消ゆるものなり

 野戦病院跡の密林の入口には青苔や下草に何頭もの瑠璃タテハが休んでいたが、それを捕える気にはなれなかった。そして気がつくと肩や腕や足もとに沢山のイシガケ蝶が飛びまわっている。この蝶は白い翅に無数の傷あとのような線の模様をもっている蝶で、やんばるで見るとここ八重岳の森で死んだ兵たちの魂のように思えてきて、フタヲチョウを追う目的はすっかり凋んでしまったのであった。