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君が舞型かそけくわれに残りゐて君しのぶときかくて舞ふなり
『月華の節』昭和六十三年十二月刊
 昭和六十一年十月二日、戦後直後からその生き方に感銘を受け私淑し、支持してきた喜多実先生が逝去された。戦争によって人材も芸統も壊滅的打撃を受けた能楽の復興に全生命をかけて向き合ってこられた方だ。土岐善麿とともに多くの新作能に挑み、新時代に生きる能の工夫をされるとともに、いかにも家元らしい家元だったという玄人評もある。私は昭和二十二年一月に入門した。歌誌「まひる野」にも同時に入会し、ほどなく双方の活動の一端に参加するようになり、個人的には忘れがたい一時期を成している。
 実先生の稽古はかなり厳しいもので、たとえば初めに習う「湯谷」のクセという舞を半年もかけて、シカケ、ヒラキ、サシ、ヒラキ、ハコビ、というような基本を教えられた。今思えばよく飽きもせず教えてくださり、また習ったものだと思う。訃報に接した夜の露じめりの月明は今も心に残っている。
  月代を見むとし立てば膝さむし露しんしんと萩も倒れぬ
 この歌を冒頭にして掲出歌を含む五首を、そのころ刊行されていた「短歌ジャーナル」第四号に出詠している。伝統芸能の世界では「学ぶ」ことはまさに「真似ぶ」ことからはじまる。舞を見れば誰の弟子かもわかるとさえいわれる。掲出歌はそのようにして真似び取った師の型がわが身に残ることを思うと、その型をしてみることの中に長い歳月を師事してきた折々の思いが立ち上がってくるように思われるのだ。  舞の歌では「足裏を舞によごしし足袋ひとつ包みてわれのまぼろしも消す」を記憶していて下さる方も多いが、舞の床を摺って足袋を汚すこともなくなってしまい、舞うこともかなわぬ年齢になった。
  たちまちに遠きことなり身に残る舞を教へし人いまはなく