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秋の日の水族館の幽明に悪党のごとき鰧(をこぜ)を愛す
『阿古父』一九九三年十月刊
 これは平成元年一月号の「歌壇」に載った「をこぜと街」という三十首の冒頭の歌で、『阿古父』の巻頭に置かれている。自分でも好きな歌の一つで、八八年秋に水族館で鰧を発見。大小の鰧を見てまわってつくづく気に入ってしまった。ひどいのは赤や黒のまだらのぼろをまとっているような、ごみ箱から出てきたごみかと紛うような格好のものもいるのに、それぞれみな眼力がすごい。とても並々のものとも思えぬ面(つら)だましいで、何事かの合図を待っているように睨みをきかしている。その不敵な相貌が気に入った。
 鰧といえば「山の神の嫁」だったはず。山の神はいったい鰧のどこを見初めたのだろう。人間は鬼鰧の唐揚げを好む。かなり美味だ。そんなことはさておいて、水族館のあの水底のような明るさが、鰧の存在感をいっそう深めた。「秋の日の」とうたい出したのは、明るく澄んだ秋日和をイメージしてほしかったからだが、それは以下の「水族館の幽明感との落差の演出でもある。鰧は秋の明るい外界とうらはらに、幽明の水牢に閉じこめられているように思えた。しかし水牢の中でも気概は激しく、死ぬ気もない。
 「悪党」という言葉はどこか頼もしい。今の「悪」のイメージとはちがう意味性をもっていた。「悪党楠」(楠正成の一党)という称号などがその才覚や力量への嗟嘆の意味をもっているし、勝(すぐ)れた強さにも「悪源太」とか、「悪七兵衛」とか「悪」を冠して愛称風に呼んだりしている。鰧にもこの称号がふさわしいように思う。すっかり好きになった鰧の歌を何首か作った。あげておきたい。
  まだらなる鰧の暗き朱(あけ)の色醜悪の華みれど飽かざり
  日本一の剛の者とふ貌なりし鰧食はれをり灯の下に
  水槽に不平不満の鰧みて心しんからなぐさめられつ
 漢字の多い歌になったが、強い言葉でまとめてみたかった。「心しんからなぐさめられつ」というあたりに、当時の私の日常の多忙をきわめていた情況の反映があるかもしれない。

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