歌林の会 | さくやこの花
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魚籠(びく)の鮒くらくしづもりゐたるかな起ちて枯野を行かむとするに
『南島』平成三年十一月刊
 この歌は一九八八年(昭和六十三年)の『短歌』二月号に掲載された「枯野」十五首の冒頭に置いた歌。釣り上げた鮒は五、六匹で、魚籠をのぞくとその底にどんみりと体を寄せ合って、じつに静かに最低限の呼吸をしている。「今日はもう帰ろう」と起ち上がるとき、背後に広がっていた荒寥たる枯野を見る。川ばかりに眼を奪われていた一日の背後を占めていた枯野の力は圧倒的である。
 だいたい釣りに行こうなどと思い立つときは、私の場合、むかしはいそいそとしたスポーツのような釣りの場か、中年すぎの多忙の時代になると、釣りにでもゆくしかないかという、ぐじぐじした心をみつめるようなある日である。そんなある日の背後に広がる枯野の荒寥とした空虚をどう表現したらいいのだろう。一般的に、鮒という魚なんかは平凡な川魚の代表のようなものかもしれないが、長年鮒になじんでいると、鮒と釣り人の気心は互いに気脈が通じるところがあって、こんな時の乏しい釣果の鮒は、どこか釣人をなぐさめるようにつつましく静かに、枯野を帰る人の人生の側面に寄りそっているような感じがする。
 この歌のすぐ前にも釣りの歌がある。
 冬川の大き夕日を釣らんとし夕凍みの土に男らはゐる
                          「朝日新聞」新年詠
 多摩川にある日鴨来る約束のかがよふごとし心に恃む
                          「岩手日報」新年詠
 このころ私はよく多摩川とつき合っていた。夕暮れに散策に出て鴨の大群が次々に着水するのをみたり、ゆりかもめが群をなして海に帰る飛翔をみたりした。鳥たちがはなやかに翼をかがやかせている空の下で、沈思の顔をうつむけひたすら暗い水面に垂れた釣糸をみつめている男たちがいる。多少異様感のあるその存在が印象に残る。その中に老父の姿もある。私はこうした暗い水に吸い込まれそうな男たちに関心を寄せつつ、ついにその哀歓に接近しえないで終ってしまった。父さんごめんと言っておこう。


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