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秋すでに深きを誰に告ぐとなしわれに父無くなる日近づく
『阿古父』一九九三年十月刊
 この歌は平成元年(一九八九年)十二月号の「短歌現代」に発表した「阿古父」二十五首の冒頭に置いた歌である。私は何とも言いようのない混乱の中にあった。九十歳になった父の甲状腺癌は極度に悪化していたが、老耄の母の先ゆきが見えないうちはと、専門の伊藤病院で即刻入院といわれても拒んで逃げかえってきた父が、急に入院するといって、その荷物をまとめはじめたのだ。前述「高千穂」の最後の一連にその時のことが少し顔を出している。「帰ることまたなからむと言ひしのち思ひ直して父入院す」と詠んだのは暑さの盛りの八月十七日。このたびはやけにきっぱりと自分に言いきかせるように入院を決めていた。
 私はちょうどその月の二十三日から第十一回の「かりん」全国大会が小豆島で催されることになっていて、思いつめたような父の態度にかかわるのを避けていたような気がする。いつも目前のことに追われるように、大切なことと向き合わずにきたのが今から思えば心が苦しくなることばかりだ。父自身も死を考えていたのだが、私もまた、こんどはもうむずかしかろう、と思っていた。
 体力ある父は手術を決意し、九月五日に七時間余の大手術を受けた。手術室から運び出された父の容貌は人間ばなれしていて怖ろしかった。何年か前専門の伊藤病院で手術していたら、と思うと残念でならない。そのころ「まぬかるる死はなしされど苦しまで父あらしめよ終り得させよ」などと詠んでいたことを思い出した。

 手を強く握りかへしてまだ生きる命の覚悟父が伝ふる
 たはやすく死は得られねば身力を尽し苦しむ父ぞと呼ばふ
 生き得じと折ふしに思ひ看取りたるわが眼しづかに父が見てゐし