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マンホールの蓋に一筋青草の落ちゐて春の雨を吸ひをり |
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未刊歌集 |
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この歌は二〇一九年「うた新聞」四月号に載った歌。題を「アスパラの芽立ちする日」とした十五首の中のもの。年号は令和元年である。岩田がなくなってから二度目の春はめぐってきて、ひとりのくらしにようやく馴れてきたころである。心のどこかで明るい歌を詠もうとしていたような気がする。
この歌の前にはタイトルにした歌、「春の雨北の大地にアスパラの芽立ちする日かもろ手うるほふ」があり、春気分をわが身にも納得しようとする思いがあった。マンホールの歌は、春のしめやかな霧雨のような雨の日である。歩きながらふと気がつくとマンホールの蓋の上に一筋の青草が雨に濡れて張りついている。一瞬に春を感じさせる青であった。落していったのは誰だろう。草刈りの人か、摘草の少女か、山羊や牛の餌の草か、などと空想し、明るい雨の空を仰ぐ。そこから広がる春の思いはとてもいい気分だ。
この年の春、庭の樹木すべて満開の花の季を迎えていて、庭にも明るい光が絶えず落ちているようだった。めったに体験しない春であった。辛夷、木蓮、桃、杏、木瓜と、圧倒的に花々が咲きつぎ散りついだ。旧友から桜鯛まで届いた。今思っても珍しく楽しい気分の春であった。
ただ腰痛だけはどうにもならず、あやしげな整体師の馬(まあ)先生の治療室に通ったりしていたが、帰りにはもう激痛で一歩もあるけず駅のホームに跼って時をすごすほかなかった。そういうわけで体の屈伸がつらく、部屋内は乱雑になりやすかった時期である。
また踏んでしまへり幼くまつくろな宮守のみいら書斎にありて
啓蟄の虫はまだかといふ朝を小さき宮守踏みてかなしも
なぜか守宮が室内に入ってきて、食べるものもなく衰え死んでゆく。異変だと思いつつ少しばかり情が移って住みなれていった同居時代であった。
※ ( )内は前の語句のルビ
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