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高千穂は青(さを)にま青にきりきりと稲葉を立てて蜻蛉あそばす
『阿古父』一九九三年十月刊
 高千穂にはじめて行ったのは一九八九(平成元年)の七月二十三日のことだ。快晴の天はどこまでも青く、陽光は燦然と圧倒的だったが、私達は陽気に騒ぎながら浜田康敬運転の車に伊藤一彦、志垣澄幸と三人で乗り込み、馬鹿話にノリノリで走っていた。私は前々日に国富町という宮崎県の南端の町の歌会で選評と講演をしたあとだったが、若い体はどこにも草臥は残っていなかった。高千穂には若い歌友たちの歌会と討論会が行われていて、伊藤さんの到着を待っていたのだ。
 この歌は、夏の太陽がひりひりと額を灼くその道すがらの稲田の景をうたったものだが、「青(さを)にま青に」は調子を取る言葉としてだけでない実感をこめて、鮮かな緑を伝えたい思いから選んだ言葉だった。そしてそれは「きりきりと」につづくことによっていっそう、鋭い刃先のような葉の直立の美しさを感じてもらいたかった。
 歌会そのものは事実上もう終わっていたのだが、その頃の短歌の問題点などが出され、若い熱気が楽しかった。ただそのかげで、私は心配ごとを一つ抱えていた。それは父の甲状腺癌が悪化していて、帰ればすぐ対応を考えねばならぬところまできていたのである。歌会が終った夜、人々は連れ立って高千穂の夜空を見に出た。すばらしい星空だった。はじめて「百年の孤独」という焼酎を飲んだ。ガルシア・マルケスの小説の題をそのまま取っている。強烈で、どこかかなしい。
 鳴神は古祖母(ふるそぼ)山にかくれたり神楽みにゆく高千穂の闇
 高千穂の夜は音もなし南天に鯛釣星は大きく上る
 ぼろぼろと星あらはれて高千穂のぬばたまの闇その貌をもつ
 祖母山に古祖母山は並びゐてああ親になひ星も上れり
 アンタレスくれなゐ澄みて更くる夜を心は堪へずありし言葉よ

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