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秋深きつゆのひびきに思はずもどうと落ちたる磨崖仏頭
『飛種』一九九六年三月刊
 この歌は平成五年の「短歌研究」一月号に載った三十首の連作「仏頭とすずめ蜂」のはじめに置かれている。前年の十月十二日から三日間、大分から熊本にかけて旅をした時のもの。日程ノートには羽田JAS333カウンター前集合とかかれているから、気のおけないいつもの旅仲間と、臼杵が故郷の阿部康男さんの案内だったかも、もうおぼろだ。コースは臼杵名仏群、鍾乳洞、竹田城趾を歩いて阿蘇の白雲山荘に泊まり、翌日は阿蘇の加工を覗き草千里を観光して水前寺のお庭を眺めて一服というようないい旅だった。
 臼杵深田の石仏群は平安後期かといわれている。ものの本によると、山岳仏教の衰退とともに磨崖仏があらわれるようになったとある。臼杵の仏は阿蘇山から噴出した火砕流が凝固した岩に彫られたもので、たいへん脆い。私たちが見た中央の大日如来の仏頭はいつしか自然落下して、仏体を乗せた台座に置かれていた。ために、しみじみ、つくづく眺めて感慨を覚えたのであった。大日如来を中心に左右に六体ずつ計十二体、大日を入れて十三体並んでいた。
 仏頭が落ちたままになっているのが何とも心にしみるもので、この歌一首はその場で生まれた。ところが、その何か月か後、この仏頭は修復され、仏体は復元したのである。何だかさびしい思いをした。仏頭を欠いた御姿にも威容があり、土に置かれた仏頭には澄んだ気品があった。
 平安中期の都では秀抜な仏師定朝(じょうちょう)のはじめた定朝様式が一般化し、寄木造(よせぎづくり)のすぐれた仏たちが沢山誕生しはじめていた。そのころはるか遠国の臼杵の湿った岩石に向かって、仏を生み出そうと懸命になっていた鑿(のみ)のことを思うと、その思いが伝わり、じいんと胸にしみた。
 ほのぐらく九品の阿弥陀佇つみれば岩に彫りたるさびしさ無限
 磨崖彫りてほとけ永遠(とは)にと願ひたる臼杵の阿弥陀露を流せり

※ (   )は、直前の語句のルビ