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 緊迫する情勢だけがテレビを通じて伝えられるなか、二〇二二年二月二十四日、ロシア軍がウクライナに侵攻。事実上の戦争状態に突入する。その日のうちに平和を願う多くの言葉がSNS上を駆けめぐる。この時代に教科書通りの〈戦争〉を目の当たりにするとは思わなかったと、自らの平和ボケをいっそ殴ってしまいたくなるような、そんな衝動に駆られてしまう。
 このケーキ、ベルリンの壁入ってる?(うんスポンジにすこし)にし?(うん)
                      笹井宏之『ひとさらい』
 今の若者は冷戦を、ベルリンの壁をめぐる歴史の激動を、直接には知らない世代だ。笹井のこの歌は、現実とも空想ともつかぬような、あるいは両者が交錯したような世界で繰り広げられる、どこか浮遊した物語、名状しがたい不思議な魅力をはらんでいる。現代短歌を代表する一首と言えるだろうが、この軽やかな口語文体の中に、今のわたしは何か別の苦々しさを読み取ってしまう。乱暴に言ってしまえば、それは口語が歴史や現実を直視せず、詩の素材として軽々しく消費してしまったことへの反省である。
 『ひとさらい』刊行のころには、冷戦は完全に歴史化し、遠い昔の物語として記憶されるのみであった。だから〈ベルリンの壁入ってる?〉のような、メルヘンチックとも言えるような突飛な詩が成立し、それが柔らかな口語と溶け合うことで自然と文体を侵食していったのだろう。だが、物語としての歴史はそれ自体、現実として繰り返されたときに何の意味も持つことはない。東日本大震災が文字通り日本を揺れ動かし、感染症パンデミックが既存の価値観を問い正す。そして今度は、平和という秩序のもとに暮らしてきた我々に、戦争という不条理が再びもたらされようとしている。これらはみな「繰り返された歴史」として、「何を」「どう」歌っていくかという命題を、我々歌人に再び突き付けているように思う。
 ひもじかったあのみじめなる戦後からいくばくも過ぎていない俺には
                        田村広志
 冷笑のやうに朝焼け よたよたとスーツケースを曳きて歩めり
                        山川築
『短歌』二〇二二年三月号より引く。戦争を知る田村の直接的な、あるいはほとんど直感的な一首は予言となり、「俺」の依拠する戦後という世界が虚構でしかなかったことを告げてしまう。一方、若い山川はダイレクトに危機を口にすることはしない。だが、朝焼けの向こうに冷たい気配を感じながら、一介の若者である「われ」が巻き込まれていくその危機を、静かに、冷静に受け止めている。歌で現実は変えられない。だとしたら、現実を歌うのは空虚な抗いでしかないのだろうか。そんなことを考える。