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 「NIMBY」という言葉がある。「Not in my backyard」、つまり、ある社会資源の重要性を認識していながら、「我が家の裏庭にはお断り」という姿勢であることを指す。たとえば、児童公園やマンションの中庭に、子供の遊ぶ声やボール遊びの音に注意を呼び掛けたり、一方的に禁止を言い渡したりする張り紙を見かける。少子化の折、子供を育てやすい地域をめざし、子育てのための社会資源を作ることが、日本社会にとって必要のないことだと言い出す人はいない。しかし一方では、こうしたNIMBY的な排他性が、子育てに対して不寛容で閉塞的な地域社会を知らずと作り上げている現状がある。
 社会学者の大澤真幸は、NIMBY的態度が蔓延る原因として、日本の超高齢化社会を真っ先に例示しつつ、その根幹は「死後のヴァーチャルな〈生〉を生きる〈私〉の欠如」であると指摘する。自分にとって残された〈生〉が少なくなると、ある社会資源がその後の人々の〈生〉を豊かにすることを、想像することが出来なくなってしまうのだ。子育て環境へのNIMBYはその典型だと考えられる。
 NIMBYはもはや、地域コミュニティだけの話でもなく、社会資源の建設という具体的な問題だけが端緒のものでもない。世代間の分断が進むあらゆるコミュニティに、NIMBY的態度は隠れており、さらなる分断を引き起こしている。興味・関心・価値観の多様化がかつてないほどに進んでいる今日の歌壇では、もはや修復不可能なまでにその分断は広がっている。SNSを筆頭にオープンなオンライン空間に慣れた世代は、既存の権力にリベラルな思想を持ち込むことを厭わない。若い世代が何度指摘しても同じような議論が巻き起こる(ここでは具体的にどんな「議論」なのかは言わないことにする)現状は、文芸という庭に蔓延している「思想のNIMBY」を如実に体現する。
 たくさんのちからに従う たくさんのちからに抗う 言いたいことたくさんある
                             初谷むい
 初谷の第二歌集『わたしの嫌いな桃源郷』は、現実世界への直接的な敵意をむき出しにする。ここには大澤の指摘する想像力の欠如とは裏腹の、生の実感のなさが見え隠れする。世代の断裂がヴァーチャルと現実の断裂となり、価値観の多様化、もといガラパゴス化を生み出している。そこではあらゆる思想が、互いにその意義を理解していながらも、真に世界に受け入れられるものではないという、NIMBY的態度の対象となり、新たな断絶の種を生む。そんな救いようのない悪循環に、歌壇の我々は足を踏み入れてはいないだろうか。
(参考:https://www.10plus1.jp/monthly/2017/01/issue-03.php)