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 もみぢの葉日に洗はれて紅(こう)深し 歌人短命 うた詠み長寿
                    高野公彦「短歌」一月号
 このうたには「歌人は文学の人、うた詠みは文芸の人」という詞書がついている。「歌人」も「うた詠み」も、「文学」も「文芸」も、辞書的には同義であるが、そこには紙一重のようでいて、命の長さに関わる重大な違いがあるという一首だ。もみじの深い紅から誘われた思索のようでもあり、上句は下句の感慨の比喩のようにも看取された。
 作者の心寄せはどちらかといえば、「文芸」の人である「長寿」の「うた詠み」にある。それは「文学」とも違い、「歌人」ともちがう、のどかでめでたく、しかもしぶとい感じを漂わせる。やがて散るにしろ、長く紅をさらし、深いいろとなって散りたい、逸る者たちをほほえんでみつめているかのようだ。
 「角川短歌」一、二月号にわたり、馬場あき子とアーサー・ビナードの対談が載せられた。馬場の「戦争と少女」連載終了記念として昨年暮れに行われたものである。戦争や国にたわめられる言葉について話は進んだのだが、馬場の次のような言葉がいまの短歌の世界を突いている。
 …定型は今とってもうまいところにいるんです。戦争中もそうでしたけれど、国民をなだめる飴みたいな力があるので、飴になるかならないかの問題です。(略)
 …公的な儀礼の場から、抜け出してきた短歌はアウトサイダーの魅力と力を磨いていたものだから、アウトサイダーの精神で作ればいいのだけれどね。(略)飴も一般的な飴であることにそれほど否定は持たないけど、とにかく国民の飴になってはだめですよ。
 「国民の飴」として使われる短歌を私たちはまのあたりにしている。一月二十八日国会の冒頭での施政演説で、首相が明治天皇の歌を引用した。そのうたは「しきしまの大和心のをゝしさはことあるときぞあらはれにけり」であるが、日露戦争中に戦意高揚に使われた歌であるという。なぜいまこのような歌を引用するのか理解に苦しむが、これを喜んだ人々がいるということにも驚く。また、「短歌研究」一月号の特集「平成の大御歌と御歌」に誰もが驚愕した。前衛短歌以前に戻ったかのような意識であり、「国民の飴」としての歌に抵抗をもたない企画である。
 馬場は「言葉は潰せないものです。だって、民が育ててきた言葉は、国より強い、民の生命がこもるものだから。」と対談の最後に述べている。この言葉は、とても力強く感じられた。うた詠みも歌人も、このような力を心底に信じていたいと思う。

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