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  『短歌』(平成二十九年十二月号)の時評で中津昌子がオススメしている「文学フリマ」、十一月二十三日には東京で第二十五回が開催された。出店数は過去最多らしく、詩歌に限っても百十ものブースが出ていたのには驚く。開催されるごとに新たな同人誌が創刊されるような近年の状況の中で、今回も話題を呼ぶものがあった。その一つが企画誌『tanqua franca』(タンカフランカ)。穂村弘と睦月都が発起人となり、紀野恵と佐藤真美、渡辺松男と山下翔など、いわゆるベテランと若手がコラボレーションしていて、なかなかにスリリングである。
  睦月は水原との対談の中で、今の若い世代について次のように語っている。
  睦月 今の世代は社会に存在する上での体感的な違和感であるとか、そういう曖昧で言語化しにくい感覚を歌に拾っていく傾向にあると感じています。
  睦月 惨めさは……多分あると思います。若い人の短歌にある程度、通底する感覚として。
  世代を何か一つの特徴でくくるのは難しく、全てに共通すると言うのは土台無理な話だが、「惨めさ」という言葉には立ち止まって考えたい。ここで睦月が名前を挙げたのは、第六十二回角川短歌賞を受賞した佐佐木定綱だ。
   三日目の炊飯ジャーの干飯にお湯を注げば思い出す 君
   口の端の薄きしょっぱさ朝焼けよこりゃあなんだよ誰が泣いてる
  特に「惨めさ」を感じさせるような歌を引いた。干飯も朝焼けにこぼれる涙も、どちらも何かに「負けている」ような主体の姿が見える。そこには、だめな自分を曝け出すことで社会との切迫した関係を写し取ろうとするような意識があるだろう。
  興味深いのは、睦月の「惨めさ」という表現が水原には伝わらなかった点だ(後に賛成しているが)。水原は佐佐木の作品に対して「エネルギッシュ」「今の世代に珍しく世界に対峙している」と言い、睦月に比べるとポジティブな受け取り方をしているようだ。この点は、角川短歌賞の選考において島田修三も「現実に対する抗いみたいな力がある」と述べている。
  読みや受け取り方の相違を年齢などで片づけるのは乱暴だが、若い世代が社会の中であがく自虐的な姿を「対峙」や「格闘」として上の世代が読むのであれば、そこには「惨めさ」を切実な声として評価したがる構図が透けて見えないだろうか。そして、作り手の側も、無意識のうちにその要請に応えてしまわないだろうか。若い世代が「惨めさ」に回収されないために必要なのは、読む側の意識や態度なのかもしれない。