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 『歌壇』二〇二三年九月号の特集「その時歌人たちはどう読んだか―関東大震災から百年」には、関東大震災の当日、歌人たちがどのような状況であったかを歌とともに評している。例えば大井学は、当時ミュンヘンにいた斎藤茂吉の歌〈友とともに飯に生卵かけて食ひそののち清き川原に黙(もだ)す〉に「美味さ懐かしさよりも心配のほうが募ったに違いない」と述べ、松平盟子は与謝野晶子が震災当日、一家全員で野宿したことに触れ、晶子の歌〈大正の十二年秋帝王のみやことともにわれほろび行く〉には、東京が崩壊してしまった喪失感が滲むとした。晶子については、三枝昂之が〈十余年わが書きためし草稿の跡あるべしや学院の灰〉の歌を挙げ、文化学院に保管していた「源氏物語講義」の原稿が消失し、落胆した晶子はおよそ一四年に及んだ「源氏物語講義」を再び書くことはなかったと述べる。
 社会的に大きな災害を歌にすることの是非について述べる際、報道や新聞などでは発信されない、市井の人の心情や状況などを短歌は表現することができるといった、記録としての価値を挙げる人がいる。私はこの意見には懐疑的ではあるものの、こうして特集が組まれ、それを読むことで当時の衝撃や混乱を知ることができるのは事実である。
 三枝は窪田空穂の〈川岸にただよひよれる死骸(しかばね)を手もてかき分け水を飲むひと〉〈その水のいささを賜へむくいにはわが命もといひ寄る処女(をとめ)〉の二首について、伝聞による作歌であるとしながらも「歌からは極限状態の一コマ一コマが浮かび上がる。」と書いているが、本当かどうかわからない伝聞を空穂が歌にすることによって、ないものがあるように演出されてはいないだろうか。震災の記録性を考えたとき、この二首は当時の状況を伝えているとは言えないのではないだろうか。このことは現在の私たちが、遠く離れた場所から伝えられる情報や映像をもとに、災害などを歌う際に直面する問題と近いものがあるように思う。
 最後に三枝は、「短歌研究」昭和八年一月号の企画「大東京競詠」について述べている。〈大空を直線に切り丸の内のビルヂングにてる白き太陽 茅野雅子〉など三枝が挙げた歌は、どれも明るさに満ちている。昭和五年三月に帝都復興完成式典が挙行され、それに呼応した企画らしいが、復興しても苦しんでいる人はいるはずなのに、痛ましさはどこへ行ってしまったのだろう。恐らく人間は目の前の光景がすべてであり、景色が変わってしまえば過去は薄らいでしまうものなのだ。東京大震災の歌は、当時の凄惨な状況だけではなく、情報をもとに災厄を詠むことの難しさ、過ぎてしまえば忘れてしまう人間の姿も記録しているのである。