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 先日辻聡之歌集『あしたの孵化』批評会が行われ、次の歌が議論の対象になった。
  人を恋うこころのごとく立つポン酢小さき土鍋の湯気に濡れつつ
 谷川由里子は「ポン酢」という音感に歌のピークが盛り上がる感じを受けたと鑑賞し、さらに盛り上がりの頂点を目指す歌い方をせず「土鍋」という詠い収め方をして、歌を盛り上げる一歩手前で留める、とした。言葉の持つ音の質に着目しながら場面を捉えた鑑賞と言える。
 一方、小島ゆかりは前半部分にある種の情けなさを感じ、「辻聡之」という名がなければ独居老人の歌としても鑑賞できるとしながら、この歌は歌集の中でも印象に残るとした。歌に描かれた景とそこに流れる情感を汲み取った鑑賞と言えるだろう。
 個々によって受け止め方が分かれ、鑑賞の差が浮き彫りになった。一方で、ポン酢の一首は本歌集の中でも印象に残る歌であると、各パネリスト・会場に居た人ともに受けとめていたのではないか。鑑賞に差異があっても「よい」とそれぞれに感じることのできる歌であり、後に残る歌である可能性の高い歌として認識を共有した場面であった。
 こういった「認識を共有する」場が、現在の短歌界隈では細かに持たれている。しかし、そこで得られた、ある「認識の共有」をさらに広く大きなものとして捉えなおし議論することは、残念ながらほぼなされていない。ある歌への「認識」をその場で語ることに留まっている。さらに多くの人と場を通しての問い直しの作業が行われなければ、「認識」を越えて、その歌の「評価」までは到達できないだろう。
  晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて
              葛原妙子『葡萄木立』
 辻の歌集批評会における会場発言で鶴田伊津が上げた葛原の一首だ。短歌に関わっている人であればほぼ誰もが知っている歌であろう。「ポン酢」からの連想で思い出されたというこの歌は、今なおさまざまな鑑賞や取り上げられ方をしている。「評価」されている歌と言えるだろう。「評価」とは、多くの人や場を通すだけでなく、時や時代も経てなされるものだと改めて感じる。
 歌を議論してゆく上での「評価軸」が無くなってきたと言われて久しい。「評価軸」は個々の歌への「評価」の積み重ねだと思うが、どちらも一人の人間が一夜にして生み出せるものではない。数多くの歌集が編まれ、歌会や批評会に留まらない語る場が存在する今、ある歌に対する「認識」をただ消費してゆかないために、文章化・データ化して残す作業も必要だろう。「認識」の共有のために。