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 角川「短歌年鑑」令和六年版に『特別座談会 結社はどこへ向かうか』が掲載されている。私は「かりん」に所属してもうすぐ十年になるが、結社が何であるかについては結論が出ておらず、興味深く読んだ(入ってよかったと思っています。念のため)。
 結社がどういう存在であるべきか、どういうふうなものになっていくかという問いについて、小島なおは「人間関係を作る場でもあるし短歌の基礎体力をつける場所でもあります。(略)結社に入ることによって得られるものがもう少しクリアに外部に開かれているといいなと思います。」と答えている。
 小島の「人間関係を作る」については、SNSを通じて仲間を集めることも可能であり、世代が違う人たちと交流したいと思っていない人も多いのではないだろうか。「短歌の基礎体力」についても、大事なのは承知の上で、やはり学問的な部分であり、好きにやりたいから必要ないと言われればそれで終わってしまう。このことは小島も分かっており、「短歌は自由に楽しむものだから、ネットを中心にやりたい人、投稿を楽しみたい人はもちろんいい。」と発言している。この他、楠誓英が千葉優作の歌集『あるはなく』の批評会を通して実感した「読みの多様性とか確かな読者を供給できる」や米川千嘉子の「作者ベースで作れて自由になる感じがある」という意見は歌人個人の性質によるもので、結社でなければ得られないものではないように思う。結社の利点に納得しきれない部分があるのは、座談会に参加しているのが結社の中心となる歌人であり、人を迎える側の言葉だからであろう。
 結社に入ると得られるものは選者であると考える。選者の重要性については、米川が「選者が信頼される選をすることが大前提」と語っているが、少し違う話をすると、選者は歌の読者の一人に確実になってくれる。実は、この世に生み出された短歌のほとんどは読まれない。例えば結社誌があるとして、会員すべての歌を読んでいる人が何人いるだろうか。私は知り合いの歌と選歌欄、各欄の見開き二ページと東京歌会に出された歌を中心に読んでしまう。しかし、選者は私が読み飛ばしてしまった歌も読んでいる。知り合いであろうがなかろうが、歌が面白かろうがつまらなかろうが読んでいる。どんな人物が選者であっても、それだけは確かなこととして言うことができる。
 短歌を作る以上、自分の歌が読まれていないかもしれないという可能性は常に抱えることになる。作った歌が読まれていないかもと思ったときに、たった一人でも読んでくれる人がいる、という事実は作歌する上で小さな希望となるに違いないのである。