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 創作・仕事の両方において周囲からどんどん置いていかれているような意識が拭えない。インプットとアウトプットの何をしても自分自身に跳ね返ってこない感覚。それは二十代なら少なくない数の人が抱いている、ありきたりな悩みなのだろう。原因を搾取と決めつけて、国家や社会、一部の企業、SNS等に責任を押し付けていきたいところではあるが、いかんせん自分もその構成員の一人である。
 『短歌研究』二〇二四年四月号の特集「時を超えて、俵万智」を読んだ。渡辺祐真協力による俵万智選歌集『あとがきはまだ』(短歌研究社)の出版に合わせて組まれた特集だろう。十九人による二首鑑賞と、五人による論考、渡辺祐真と俵万智による対談が収録されている。俵万智ほど議論の対象となる歌人であっても、特集のたびに新しい読みのための視点や指摘があることに、毎回新鮮に驚かされる。掲載されたものの中では、堂園昌彦とユキノ進の批評が素朴におもしろかった。
 丁度、特集を読んでいるときに、オンライン配信で暮田真名・渡辺祐真による「川柳バズらせナイト」というイベントを聴いていた。渡辺は配信イベントの中でも俵について言及し、「今の短歌ブームでいちばん有名になったのは俵万智だと思っている」という。短歌や文芸の中だけで考えてしまうと、俵万智は既にこれ以上有名になりようがないくらいぶっちぎりで作家として有名だから、妙なパラドックスに感じる。けれど、確かに「日本」くらいのマクロな単位で考えたとき、NHK紅白歌合戦の審査員にひさしぶりに選ばれたり、NHK短歌の選者として大河ドラマとコラボしたりするのは、堺雅人や大谷翔平に近いレベルで認知されうる土俵で再発見されたと言えるのだろう。
 斎藤美奈子が『文壇アイドル論』で、俵万智の登場によって短歌という(本当は古いけど)新しい形式を読者が発見した。その新形式に昭和的な旧い感性が合わさることで俵万智は売れた、と分析していたと記憶しているが、もしかして短歌は俵万智の「発明」として世間(世間?)では受容されていて、短歌界隈全体の発展は、俵万智に収斂する構造になっているのだろうか。大戦時のイギリスや現在のビックテックみたいに。
 今の短歌ブーム(バブル)で、マイクロエッセイとしてのツイートやYouTube等も含めた他創作ジャンルの合せ技ではない形で「短歌」の商業的ヒットを打っているのは岡本真帆や木下龍也くらいだが、それでも他の三十代の歌人と比べ、桁が違い過ぎる感は、主観ではあまりない。それは逆に、俵万智の、この規格外すぎる存在感に短歌が包み込まれていることを示している。