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 東日本大震災から十年が経過した。メディアでは十年を節目にさまざまな特集が組まれ、その記憶を風化させず語り継ぐことの社会的責任が強調された。しかし、三月第三週以後の報道は減衰の一途をたどり、また二十五日には全てを美談に帰着させるかのように聖火リレーが封切られ、被災地や被災者へ思いを寄せ続けること、少数者の苦へ目を向けることの困難さを改めて意識させることとなった。
 短歌総合誌等へ目を向けると、ここでも関連の特集が設けられているが、震災以後の歌人たちの歌が今なお同じ熱量とたたずまいをもって読者の胸中に残り続けていることに驚かされる。
 てんでんこ逃げろど言ふがばあさんを助けべど家さ馳せだ子もゐだ 
                       柏崎驍二『北窓集』
 林檎の花透けるひかりにすはだかのこころさらしてみちのくは泣く
                       齋藤芳生『花の渦』
 くぐもるような土地の語り口で生命の選択を迫られた人々の葛藤を映し出す柏崎の歌や、震災後の福島の景から東北の無垢なむき出しの「こころ」を透かし見ようとする齋藤の歌には、幾重もの時を重ねて生成された東北の地の風土が息づいている。読者がこれらの歌に立ち止まるのは、災禍の衝撃や作者のプロフィールによるものではなく、また歌の韻律や修辞によるものでもなく、その背後で歌を支える個々の風土の力によるものが大きいのではないか。
 現代へ目を戻すと、そこにある大きな脅威は新型コロナウイルスの感染拡大とそれに伴う社会の全体的な沈下だ。その影響はさまざまな境界を越えて波及し、社会の下層に追いやられた人々から順に、行政からも社会からも切り捨てられてゆくという陰惨な事態が日常化しつつある。
 そうした現実から目を逸らすことがあってはならないが、その一方で、感染の一次的な被害は都市部に集中しており、感染拡大の傾向のみを見ればこれを都市部の災禍と言い表すこともできよう。特に感染拡大の中で巨大に膨れ上がった都市の生活を支え続けなければならない所謂エッセンシャルワーカーの人々の苦境は、都市生活の暗部を象徴的に示す一例でもある。
 この都市部の災禍を直接的に、また包括的に詠み得た歌が歌人たちによって作られてきたかと顧みると、管見の限りでは未だ心許ないと言わざるを得ない。その原因を、都市部が否定し排斥し続けてきた風土に求めるのは穿ち過ぎだろうか。
 都市部にはその地の痛みを託し、悲を投影するための手がかりが殆ど見当たらないことに気づくとき、都市が資本主義社会の作り出した巨大な孤児であることに、今更思い至るのである。