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 十五年前の『かりん』二〇〇六年十一月号に小高賢の評論「ふたたび社会詠について」が載る。この論には大辻隆弘と吉川宏志が各々の立場から異議を述べ、論争に発展することとなる。その様子は青磁社から刊行された『いま、社会詠は Web時評から発展した論争・シンポジウムの全記録』に詳しい。
 小高の論では、米国のイラク侵攻を主題とした岡野弘彦らの歌を挙げ、その作品が「日本人の心情」をよく映し出し技術も巧緻であるものの「感慨や視線」が「外部からのもの」であり、具体的な効力や「読み手に届くもの」に乏しいものとなっており、一方、若い中堅歌人の社会詠は「自分の気分に正直に」詠われるために社会の「観察」にとどまっており、「社会や世界に関心を持っていても、なかなか作品として結実しにくい」現代短歌の状況を提示する。
 これに対し、大辻は社会詠が「社会批評である前に、第一義的には『うた』である」以上、作者の「認識」よりも歌の表現や調べから読み取られる「感情」や「情念」を評価するべきという立場から、吉川は社会詠を通じて読者たちの間に「対話」と相互の「信頼」を生みだすことができ、その点に価値が見出されるべきという立場から、小高の論を批判する。
 現代を顧みると、ここで大辻と吉川が表明した立場はそれぞれに今日まで受け継がれていることがよくわかる。
 大辻の歌を価値基準の第一に置く考え方は新人賞の選考によく見られるし、作品本意の価値観は『短歌研究』五月号の「一冊丸ごと、短歌作品」といった企画の成立する土壌ともなっていよう。
 一方で、吉川の「対話可能性」を重視する在り方も、「時代の危機」や「生きづらさ」などの社会的なトピックに合わせて該当する作品を挙げて論を膨らませる短歌時評の常套手段となっている。また、メディアでも社会問題を語る契機として社会詠が用いられることはままある。
 しかし、小高の問題提起は宙に浮いたままだ。そして環境汚染や性差別、経済格差、言論の規制などの社会問題は膨れ上がって気付けば私たち自身が当事者となり、そのいくつかは国際的な批判を受けるまでになっている。
 国籍を訊かれるたびに会釈するたびに溢れるなにか、無色の
                       帷子つらね
 〈слaв(スラヴ)〉とはかつて〈словa(ことば)〉の意味なりき弾圧者たちは言葉を殺す
                       貝澤俊一
 本年の歌壇賞受賞作と予選通過作品から引いた。彼らは声高には主張しないが、静かに当事者とそれに繋がる地続きの意識を帯びている。自然な、しかし身を切るような社会詠をこの時代は得ようとしているのかもしれない。

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