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 近現代詩のアンソロジーを読んでいて、新川和江の詩「ふゆのさくら」の一節の前で立ち止まった。

 (前略)そのようにあなたとしずかにむかいあいたい/たましいのせかいでは/わたくしもあなたのえいえんのわらべで/そうしたおままごともゆるされてあるでしょう(後略)

 ここでの「たましいのせかい」は現実じみた家庭生活との対比で自然に配置されるが、よく見ると不思議な使い方をされていることに気付く。
 昨年十一月二三日付け朝日新聞の「天声人語」は、萩原慎一郎の歌集『滑走路』から歌を引き、「鋭敏」な感覚から生まれる率直で熱のこもった心情の吐露に向けて「魂の叫びを胸に刻む」と書く。一方で、現代短歌の歴史を振り返るとき、山中智恵子の「たましひの鞘」や塚本邦雄の「馬のたましひ」といった歌には、冷ややかに生命や精神の本質に迫ろうとする凄みがある。
 これらと新川が描いた「しずか」で無垢な性質をもつ「たましい」を比較したとき、そこに穏やかさや幽けさといった全く異なる性質が託されていることが分かる。そしてそれこそが、現代の歌や評のなかで使われる「たましい」の性質と最も近いように思われるのだ。
 どんなにか疲れただろうたましいを支えつづけてその観覧車
                        井上法子
 たましいを紙飛行機にして見せてその一度きりの加速を見せて
                       服部真里子
 二〇一〇年代後半に刊行された歌集から引いた。井上は回転する装置という観覧車の定義を取り払い、細い足と薄い円形の骨組みからなるたたずまいの中に深く疲れた「たましい」を見いだそうとする。服部は相手の「たましい」を相手自身の手で簡素な玩具に仕立てさせ、性格、体温、感情その他の人間の持つ諸相を取り払った短い滑空の中にその「たましい」の在りようを見ようとする。
 これらの歌の「たましい」には、新川の詩においても見られたような、現実世界の論理から離れ、形而上の在るべき場所に在ることの安らかさと、しかしそれが現実世界には決して存在しえないことの涼しい痛みから構成される美意識が見える。
 さて、現代の音楽シーンではしばしば歌手の「匿名性」の高さが指摘されている。作者のプロフィールや容貌といったコンテクストが積極的に取り払われた作品が作られ、それがweb/リアル空間の垣根を越えて広く受け入れられていく在り方は、現代社会の特質の一つといえるところまで来ているだろう。
 そうした社会の在り方と、短歌の「たましい」の描かれ方は、偶然であったとしてもどこか関連を持っているようで興味深い。