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一房の巨峰重たき熱もてり近代の巨大異変種の末
『葡萄唐草』昭和六十年刊
 昭和五十八年八月の末、「短歌」の十月号の三十首がまだできていない私はあせっていた。そんな時、身辺の女性歌人たちの間では葡萄狩りに行く計画がすすんでいて、私ももちろん一緒するはずだったが、その三十首のためどうしても行かれず、やむなく留守番をえらんだのである。
 そして一人残された机の前に、何となく植物事典などを開き、葡萄のページを繰っていてふと目に止まったのが、この「巨大異変」ということがあって巨峰の原形が誕生したというところだった。
 そのことが興味深かっただけでなく、以前「新潟日報」という新聞の投稿歌に、「巨峰とふ葡萄の王に魅せられてこの道をゆくかぎりしられず」(伊藤喜代太)という歌があって「巨峰」という葡萄に関心をもっていたからである。また、「かりん」の仲間の松本ノリ子さんのお父さんが、実は二十歳の頃から、やはり葡萄栽培に憧れて葡萄農園を開いていた話を聞いていた。のちに松本さんが「雪三尺父が挫折の葡萄園一樹のこりてその丈低し」と詠まれるようないきさつである。雪国の男たちにとって葡萄への憧れとは何だったのだろう。
 「巨峰栽培に魅せられて一生(ひとよ)尽きぬべし雪国の男の夢哀しけれ」という歌がまず生れた。私の父も庭に葡萄棚を作って楽しんでいた雪国の男である。いったい葡萄はどこからきたのか。古典には登場しない葡萄だが、簡略なその文化史をたどると、義経が頼朝に拒まれて弁明の腰越状をかいていた頃、すでに甲州で日本種の葡萄の原木が発見されていたらしい。しかし、近代までそれは歌材とされることはなかった。その珠を蒐(あつ)めたような房の実りは、なお身近かな食品としては栽培されることが少なかったのだろうか。
 葡萄は形が面白いのでデザインとしては能装束や、蒔絵などには登場する。俳句では一茶が詠んでいるのが嬉しかった。けっこう甘かったようだ。
  黒葡萄天の甘露をうらやまず  一茶

※(  )内はルビ