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 先人や同時代の作品を読み解き、鑑賞・批評することは、歌人にとって作歌と同様、大切な仕事である。「短歌」七月号の特集「『読み』の重要性――歌を磨くための読解力を養う」は、「難解歌」「世代間の壁」「レトリック」などをキーワードに、多角的に「読む」ことを考察している。
 きちんと読み込むには、自分の感覚や経験に基づく共感だけでは不十分だと指摘するのは、吉川宏志と島田幸典である。吉川は「共感にもとづきつつ、自分と他者との違いに目を向ける読み。それが大切なのではないか」、島田は「重要なのは共感の量ではなく、読みの質である」と述べる。
 「共感」は大事だが、自分に引きつけてばかりいると、他者の言語感覚やイマジネーションを十分に味わうことが疎かになる。また、そういう読みに頼っていると、作者名やそれに付随するさまざまな情報に引っ張られる危険性がある。島田が無記名の詠草を批評する歌会という場を評価するのは、そこでは「歌の言葉に即して表現や主題を吟味・批評する」という基本が大切にされているからなのだ。
 歌会の意義は、結社の存在意義でもあるかもしれない。この特集に寄稿している藤島秀憲は、「他の人がどう読むのかを知りたく」て、自身の所属する「心の花」のインターネット歌会や、「生の歌会」にも出席するようになったという。ネット上の歌会は私も何回か参加したことがあるが、その時々の呼びかけに応じて集まる超結社の歌会だったため、批評の言葉が甘くなりがちな印象を抱いた。名前や顔、歌歴などを把握したうえで、言葉に即した批評を忌憚なくする場を重ねることで、批評の言葉も磨かれ読みも深まる。
 そのことを思うと、若い世代の歌のわからなさの一端は、リアル歌会をあまり経験していないことにあるのではないかという気がする。自分の歌について、作者本人の気づかなかったよさを指摘されたり、当然伝わると思った内容が理解されなかったり、といった経験は、作歌にフィードバックされるものである。
 そして、「わからない」と評される歌の作者に、従来の歌会では行われてこなかった「自歌自註」をしてもらうという試みをするのも一興かもしれない。それは、勉強会のような場でもよいし、短歌総合誌の企画でもよい。助詞の使い方、二字あけの意味など、作者の意図を納得できるまで聞いてみたいと思う。
 ともあれ、藤島の引用した河野裕子の言葉――「歌の微妙な良さは、そう簡単に誰にでもすぐわかるものではないということである。実作を続けていなければ、表現の前線に常に居なければつかめない、短歌のことばの息づかいというものがある」――を忘れず、日々歌と向き合いたい。