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 「短歌をお金持ちの玩具にしないためにいまできること」という刺激的なタイトルの歌壇時評が「短歌」二月号に掲載された。筆者は、昨年末に第二歌集『氷』を出版したばかりの田中濯である。
 歌集出版に必要な費用が「新車一台分」と言われて久しい。田中は出版費用の捻出に苦しみ、借金して出版した自らの経験を明かす。そして、その個人的体験から、現在の状況では「いろいろと余裕のあるひとびとか、余裕には乏しいが短歌へ相当強いモチベーションをもつひとびと以外は、歌集出版を選択するはずもない」と悲観する。
 その懸念を裏づけるのが、「短歌研究」二月号に載った光森裕樹の「短歌時評」であろう。光森は一九七九年度以降、二〇一四年度の歌集発行数がこれまでで最も少ない四五二点であったことを明らかにしている(各年の「短歌研究」十二月号から一年間に発行された歌集一覧をまとめたデータであり、この統計自体たいへんな労作だ)。自費出版が大半を占める歌集の状況を考えると、原因は出版不況というよりは、歌人の高齢化や、非正規雇用者の増加などで自費出版ができる、ある程度富裕な層が減少していることにあると見られる。
 こうした経済格差に加え、「謹呈の輪の内外格差も大きい」と、光森はやや皮肉をこめて書いている。「自費出版と贈答文化に立脚する歌集は、短歌の世界において通貨として機能している」と光森はいうが、この通貨はいつまで有効だろう。若年層まで通貨が行き渡らないのであれば、それは健全な市場とはいえない。
 一つの解決策として、自費出版と商業出版を分ける試みがあるのではないか。「安く、きちんと流通する歌集出版」のビジネスモデルは、自費出版では難しい。田中は書肆侃侃房の「新鋭短歌シリーズ」について、価格や装丁、流通の面で評価しているが、同シリーズの最も評価すべき点は、自費出版ではないことだと思う。企画編集に対する代金や買い取り分はあるものの、負担は従来の歌集出版より遥かに少なく、印税も得ることができる。何よりも明朗会計である。また、書店の店頭やアマゾンにも並ぶのだから、著者の満足度は高いはずだ。かつて私も歌集出版の際、価格を低く設定したいと希望したが、出版社から突っぱねられた経験がある。その仕組みはいまだに理解できない。
 誰もが真剣に歌を作っているのだ。せっかく作った歌をどう一般の読者に届けるか、もう少し考えてもよい。個人の記念として出版する歌集なのか、「商品」として流通させるに足る歌集を目指すのか。「歌集出版はこういうもの」という思い込みを捨て、贈答によらない需要と供給のシステムを少しずつ模索したい。