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 五月三十一日、玲瓏の会による塚本邦雄研究の會にて『女性歌人から見た塚本邦雄』というテーマで、ゲストの小島ゆかり、花山多佳子と玲瓏の尾崎まゆみの鼎談があった。
 小島ゆかりは「日本の中の私」を嫌った塚本の「無国籍な私」の中にも生身の塚本邦雄が滲みでてくるのであり、結局は「私という人間が何を考え感じたかを語った」と述べ、人間塚本邦雄がぐっと引き寄せられた。また花山多佳子は「感幻楽」以前の塚本の、対象と距離感を保って内部には入り込まないアイロニーについて述べたが、どちらもその根拠としてあるのが戦争に対する塚本の強い嫌悪と戦後日本に対する違和感なのだと、この鼎談の根幹をつかむような松村由利子の評(朝日新聞短歌時評)から納得した。
 また鼎談の合間に花山がふと呟いた「アイロニーとは短歌の良さなのか?」という言葉が、私は短歌の深みに触れているような気がして印象に残った。アイロニーと抒情は相容れないが、それぞれ短歌の生命線ではありうる。短歌の本質を考えるとき、やはり塚本邦雄という巨人を避けては通れないのだろう。一方、尾崎まゆみは初めに感銘を受けた歌が、当時の自身の境涯に深くコミットしたと述べたが、似たような経験が私にもあり、その感覚がよくわかった。坂井修一は塚本の歌の時代を予言する黙示録的な内容を指摘し、今日ではそのような塚本の表現は時代に追いつかれ、こなれて衝迫力が弱まりフラットになってしまったという。それは塚本短歌のエッセンスを総括したような印象をうけたが、その予言的な部分にはマクロな時代のみならず、個人の深層心理に触れる「元型」のようなものがあって、ときに読者は自分自身が言い当てられた気持ちになるのではなかろうか。そしてそういう感応力は女性の方がつよい気がする。事前アンケートで「女性歌人による塚本五首選」があり、上位は「馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ」などよく知られた代表作が並んだが、出典もさまざまな一票の歌も多く、個人の深層に触れて強烈なシンパシーを生む塚本の魅力が思われた。
 さて、ジェンダーはあらゆる分野、生活の根底にあるが、短歌でもそれがさりげなくわかることがある。先日、女性のみの十人ほどの超結社の歌会に参加した時のことだ。ここで「雨」という題詠があったのだが、これについて歌会後にある指摘があった。「某結社ではこういう時、雨そのものではなく、雲とか露が沢山出て来るがこれは決まって男性である…」と。その時の歌会はほとんどが「雨」をそのまま素直につかった歌だったが、読み応えは十分だった。姑息にひねらないのが女性の歌である、ともいえる。