告知板
ホーム
概要&入会案内
今月の内容
さくやこのはな
かりん作品抄
時評
ライブラリー
リンク
会員ひろば
かりんネット歌会
お問い合わせ
 先日、ある歌会で「3・11は誰もが歌にすべき」という主旨の発言を聞き、それに対して「何を詠むかは人それぞれでいい」と反論した。強く言いきったあとで、何かもやもやとしたものが胸の中に残った。
 『現代短歌』四月号では、「震災二〇〇〇日」と題して特集が組まれた。作品や評論、エッセイ、座談会と、様々な観点から「震災詠とは何か」を考える企画になっている。評論を寄せた佐藤通雅は、宮城県高等学校文芸コンクールの短歌部門の選に長く携わっていることを挙げ、震災の年の作品に「震災詠はゼロだった」という。
 家族や友人を奪われ、一時、県内外に避難した人だっている。だのに歌にしなかった。できなかった。おそらく、あまりにも大きな衝撃をまえに、それに見合うことばが浮かんでこず、沈黙する以外、どうすることもできなかった。(佐藤通雅「沈黙の部分について」)
 震災が高校生の心にどれだけの傷を残したのか、痛いほど伝わるエピソードである。
 さして被害もなかった名古屋に住む身として、震災詠は当事者にしか許されない行為のように思えていた。ひとつ間違えば「不謹慎」との誹りも受けるのではないか、そんな怖れさえあった。二〇一二年の短歌研究新人賞を受賞した鈴木博太の「ハッピーアイランド」は震災を材にとっているが、選考委員の一人である穂村弘は「頼むから福島の人の作品であってくれ」と念じたと後に述懐している(「短歌研究」二〇一五年三月号)。異なるケースではあるものの、個人の経験がいかに大きなものか、という問題が垣間見える。
 話は戻って、『現代短歌』四月号の座談会である。梶原さい子、本田一弘と東北大学短歌会のメンバーが、震災詠の難しさについて率直に言葉を交わしている。特に、大学短歌会の若者の言葉には、自らの鱗を剥ぐような切実さが漂う。
  工藤 こんなにつらかったのに、なぜこんなことをおまえは詠めるんだ、と言われることがやはり怖い。(略)
  浅野 表現は結局、何かをねじ曲げてしまうので、自分はねじ曲げているんだという意識をもたなくてはならないと思う。
 被災した人間が「表現」に差し出さなければならないもの、それはあまりにも重たい。
 「被災した人間にしか震災詠は作れない」というのは、非・被災者側の自粛であり、被災者側の呪縛だ。個人の体験や事実を軽んじるわけではないが、もっと様々な人が様々な角度から(斉藤斎藤のような実験的手法を用いることも)、震災を作品にしてもいい。思えば、この特集に名を連ねているのは東北の歌人ばかりだった。
 人々の中で、震災詠が易々と踏み込めない「聖域」に祀られてしまう前に。