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  生きかたが洟かむように恥ずかしく花の影にも背を向けている
  ラブホテルの隣に葬儀場ができ明るいほうがひとのいる場所
 これらの歌を収録した『羽虫群』は、書肆侃侃房の「新鋭短歌シリーズ」から出た虫武一俊の第一歌集であり、第四十二回現代歌人集会賞を受賞している。では、虫武一俊とはいかなる人物かといえば、何と説明するのが適切だろうか。結社や同人誌に所属せず、雑誌やネットに作品を投稿してきた。明快な歌意とユーモア、現実の苦しみも自虐的に詠いながら共感を呼ぶ。そんな歌人だ。
 七月三十日に大阪で開かれた歌集批評会は、穂村弘や染野太朗らをパネリストに迎え、百名を超える参加者が集まった。驚くべきは、その半数ほどが結社や同人誌に所属していない層だったことである。これには、虫武の活動の場が関係しているのは間違いない。批評会の中で、「虫武一俊という歌人をどのように位置づけたらよいのか」という話題が上がった。それはつまり、いわゆる結社歌人とネット歌人という構図のような、活動の場および作風によるマッピングだ。しかし虫武は、発見や発想が光る歌から具体物の描写で抒情を喚起する歌まで、多彩な歌を作っている。ステレオタイプの分類など拒否するように。
 旧来の閉ざされた歌壇と、そこには所属せず短歌と関わる人々との境界は、いよいよ崩れつつある。『羽虫群』批評会は、そうした意味で、現在の状況を象徴的に示すイベントだった。
 さて、二週間遡って同じく大阪、現代歌人集会春季大会の場にも穂村弘はいた。「調べの変容」をテーマに、大辻隆弘の基調講演や、河野美砂子や堂園昌彦らのパネルディスカッションが行われた。講演を担当した穂村は、塚本邦雄や斎藤茂吉を例に挙げつつ、現代の口語短歌にふれた。印象的なのは次の一首。
  夢らしきものの手前の現実をずっと過ごしているわけだけども
                              脇川飛鳥
 穂村は結句の最後の「も」に着目し、これは作者が作歌の過程で感覚的に選択した結果であり、短歌の歴史を経た破調ではないと指摘する。歌として字余りが活きているのは確かだが、その説明は難しい、とも。果たして脇川の破調がどのように新しいのか、具体的な検証は必要だと思うが、穂村の声には微かな戸惑いが滲んでいた。
 今後ますます、「〈閉ざされた歌壇〉の外側」から人々はやってくる。そして、短歌の歴史とは全く異なる文脈が現れた時、それをどのように評価するのか。どのように評価しうるのか。それこそが、いわゆる歌壇とそれに連なる人々が直面する問題だろう。