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 九月に刊行された『私の前衛短歌』(砂子屋書房)は、著者の永田和宏が「私個人の前衛短歌体験なのである」と述べているように、前衛短歌運動を総括して書かれたものではない。「前衛短歌とは何だったか」を詳述するのではなく、自身の目にどう映っていたのか、当時の評論や書評を再録する形で追っている。永田が短歌を始めたのが一九六七年ということだから、運動が最も苛烈な頃よりは少し後の状況ということになるだろうか。その時々で関心をどこに向けていたかがよく分かる。特に、岡井隆との対談において、ぐいぐいと切り込んでいくところは、今読んでもおもしろい。

 永田 われわれの世代が、いま攻撃目標にするのに格好の対象なんです、岡井さんは。
 岡井 撃て、撃て、と言ってるわりには、なかなかお撃ちにならない(笑)。
  永田 実際見てると、ジャブの応酬というか、そこまでもなかなか行かないですね。いまの短歌界の状況を見てみると、論争というものがあんまり少な過ぎる。

 これは一九八二年の対談だが、永田が歯痒く思っていることが伝わってくる。現在の歌壇を取り巻く状況と、どれほどの違いがあるだろうか。そして、数十年後、「今」が短歌にとってどのような時代だったと回想するのかと考えてしまう。
 もう一つ思ったのは、『私のニューウェーブ』を読んでみたい、ということ。と同時に、永田の一冊が成立しえたのは、それ以前に前衛短歌について語り尽くす作業がなされていたからであり、果たしてニューウェーブが同様かというと、それは怪しい(「ニューウェーブ」で検索してみても、そんな書籍はヒットしない)。

   ぼくを立ち止まらせ淡く抒情する春には春のセブン-イレブン
   蚊が刺したあとを十字に浄めたら姉さんがゐるやうな気がした
                 西田政史『スウィート・ホーム』

 二〇〇〇年で作歌を休止していたという西田が第二歌集を出したことは、驚きをもって受け止められたのではないだろうか。その作品は、歳月の隔たりを感じさせない瑞々しさを湛えている。よくも悪くも、いまだニューウェーブの冠を見てしまうほどに。
〈時評の途中ですが、速報です。来年六月、名古屋であるイベントの開催が決まりました。「ニューウェーブ30年」と題された現代短歌シンポジウムです。荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘、そして西田政史という四人が今、何を語るのでしょうか。今後の動きに注目が集まります──。〉
 まだ、「私のニューウェーブ」は続いているようだ。