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空穂との出会い
  ―「梅枝」の艶―
 源氏物語の三十二帖は梅枝である。これは明石姫の東宮入内が決った後の、閑雅な暇(いとま)ある日、源氏は思いついて、かねて女君達に贈呈しておいた香木を二品合せて新趣向の香を創出するよう求められた。折ふし二月十日、雨も少し降って薄じめりの聞香日和。紅梅がちょうど咲き匂うころ、弟宮の螢兵部卿がおみえになる。折よく風情ある壺などに入れられた練香が女君達から届きはじめた。
 螢兵部卿は「艶なるもののさまかな」とそれらに目を留めて、心憎い贈り物のしつらいから、中に秘められた香の香りまで想像しつつ眺めている。今見ているものが艶なのではなく、行なわれつつある行事全体への想像力が加わって「艶なるもののさま」が如実となっているのである。現に見えていないものこそ、あるいは想像の中で現実を越えたものになることもある。眼前のものを契機として心が生む艶である。
 それから、いよいよ女君達が思いをこめて合せた香が焚かれる。朝顔斎院の黒方(くろほう)、源氏の侍従、紫上の梅花香、花散里の荷葉(かよう)、明石君の薫衣香(くのえこう)、それらの香りは混じりあい、しめりよき春の気にとけあって揺らぎ漂い、何ともいいようもなく匂いが満ち満ちて、人々の心はただもうほのぼのとして艶というほかない気分である。このような場面の表現として用いられた艶も、眼に見えている艶ではない。この世とも思えぬ薫香の匂いの中で、人々の思いはさまざまな美の要素を抱合した融和的な艶の気分へと向かってゆく。
 もう一つ異なる例をあげてみる。夕顔の帖で、源氏が廃院となっていた古い邸に夕顔を伴った時、夕顔は「もの怖ろしうすごげに」思いおびえていたが、「明けゆく空いとをかし」という景を眺めながら、侍女右近の思いはちがっていた。西の対に部屋のしつらいなどが調えられている間、「右近、艶なる心地して、来し方のことなども、人知れず思ひ出でけり」とある。右近に艶なる心地をよびさまさせたのは、来し方の思出である。荒れてはいるが上流貴族の邸宅と庭のたたずまいを眺めていると、きぬぎぬの別れを惜しみつつ帰る男の姿や、姫君の寝乱れ髪、それらのお世話をしていたありし日。栄華のくらしの圏内にいた自分。右近はその日々を艶な記憶として回想していたのである。
 ここに取り上げた艶は個々の感性の中に眠る一種の気分のようなものである。そうした複合的な艶の気分を、中世は新しい言葉の文化の中に生み出そうとしていたのだ。

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