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空穂との出会い
  ―空穂の俊成―
 先号にタイトルだけあげた「藤原俊成の歌論―主として艶と幽玄と本歌取とにつきて」という、昭和七(一九三二)年の空穂の論文で、俊成の『古来風躰抄』に触れた最初の引用文において、私はすでに空穂歌論の真髄に触れるような驚きを持った。それは平安朝前期以来、歌人に金科玉条のように信奉されてきた貫之や公任の歌論を無視したわけではないが、いわばこれを飛び超えたような全く新しい論であった。
 貫之は『古今集』の仮名序で「やまと歌は人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」と言い、さらに世間の雑事に対して人は「心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひ出せるなり」と歌材の広がりに言及しているが、更に歌人の作歌の基本を明示しては「新撰和歌序」(『日本歌学大系』)に「花実相兼而已(あひかねたり)」とある。
 この花実論の尊重は長く、平安中期の公任は「凡そ歌は心ふかく姿きよげに、心(趣向)にをかしき所あるをすぐれたりといふべし」(『新撰髄脳』)と貫之を受けて、「姿」と「趣向」の面白さを加え、中世初頭の定家は解説風に述べている。平安前期、漢詩文の全盛の世に対応した「やまと歌」が、美辞を競って実を失うことを戒めつづけた歌人たちの自戒も含めた「実」への心くばりである。「実」とは世間的事象や人情を含めての「実」、そして、さらに、当時信仰の中心にあった仏教の教えへの漠然とした帰依の心、また知識階級の間には天台止観や真言密教への思いなども日々の「実」を生きる心の中にはあったであろう。
 俊成もまたその一人である。俊成の歌論を知ることができる『古来風躰抄』は、後白河院皇女、前斎院式子内親王の求めに応じたものだ。「歌の姿をもよろしといひ、詞をもをかしといふことは、いかなるをいふべき事ぞ」という問いに対してかかれたもの。俊成は八十代半ばの大著である。
 式子内親王の問いに答えた俊成の「よき歌」とは次のようなものだ。「後拾遺集の序には、言葉ぬひものの如くに、こころ海よりも深しなど申給ふれど、必ずしも錦ぬひものの如くならねども、歌はただ詠みあげもし詠じもしたるに、何となく艶(えん)にもあはれにも聞こゆることのあるなるべし」。これは今までの歌論の中で一度たりとも言われたことのない歌論であり、花実尊重の梯子を取りはずしたような大胆な提言である。しかも俊成はこの「何となく」という気分への尊重を、さまざまな歌の場でも繰返しているのだ。

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