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清輔と俊成の判詞
  
 前号に記した清輔の歌評は語順を正すというところにあった。「散らしてもなほ吹く風は」はよくない。「吹く風の散らしてもなほ」などの語順がよいと言うことになる。また、同じ「落葉」題の歌「庭の面に風に浪寄る紅葉ばはさらす錦を巻くかとぞ見る」〔経家〕の初句から二句へ、わずかな隔りの中で「に」が二度も使われているのは、昔からも注意するように戒められているところ。また、紅葉を錦にたとえるのはいいのだが、「錦」などは「巻く」ものではなく「畳む」と言うべきでしょうという。作者の立場から言えば、「風に浪寄る」のつづきとしては、浪に巻かれる紅葉の景を独自に表現したつもりだったのではないか。語順の逆転はその後、新古今集の時代になるとむしろ新鮮感のある言葉となってゆく。
 題「暁恋」で詠まれたものをみてみよう。
   左                    大弐卿
 おのづから逢ふとはいはず逢はぬ夜も明けゆくばかりかなしきはなし
   右 勝                 頼政朝臣
 鐘の音を独(ひとり)寝る夜もいとへども逢ふてふ夢にうちきましつる
  左、逢はぬ夜の明けゆかむは、何に悲しかるべき。ひとり寝は夜の長きをこそ歎く事には侍れ。〔後略〕
  右、姿は悪しくも聞えず。「逢ふてふ夢」ぞ、心ゆかず侍る。「逢ふと見る夢」とこそいふべけれ。「逢ふてふ夢」は心得ねども、深き咎(とが)にあらねば、猶右勝つべきにこそ。
 大弐卿重家と頼政の組合せはこの歌合では三回目。前二回は大弐卿に勝利を出したが、三回目のこの場面では頼政を勝とした。大弐への評は今日的には驚きであろう。大弐はむしろ、逢うことができなかった夜も、逢っていた時の夜明けの情緒や、きぬぎぬの〈あはれ〉を思い重ねて、「明けゆくばかりかなしきはなし」と詠んでいるので、むしろ新鮮な詩の趣がある。評では、逢えなかった夜のひとり寝は明けるまでも「夜の長さをこそ歎くことに侍れ」と言っている。ひとり寝の詩情を限定しているのである。これは清輔の和歌の鑑賞がきわめて伝統的な古風な情感に拠(よ)っていて、感性まで伝統表現の中に限定しかねない危さをもっていたと言えるのではなかろうか。


※ ( )内は前の語句のルビ